福岡と佐賀の歴史巡り (2026/2/8)

 

たまたま航空券の安売りセールがあり、4日間ほど福岡と佐賀を旅する機会を得た。福岡は東京のように途方もなく大きいわけでなく、かと言って小都市でもない。空港が市内にあり、JR博多駅まで地下鉄で僅か二駅と極めてアクセスが良い。市内は地下鉄とバスで便利に移動できる。私の印象では生活しやすい所という印象がある。

 

さて、レンタカーを使えば、筑前のお隣の佐賀まで1時間ほどで行くことができるので、筑前福岡と肥前佐賀の歴史を尋ねることにした。

 

福岡城

福岡藩は別名黒田藩と呼ばれ、秀吉の参謀として名を馳せた黒田官兵衛(如水)が藩祖である。如水の嫡男黒田長政(初代藩主)が慶長6年(1601年)から慶長11年(1606年)までの約6年をかけて福岡城を築城した。

城址敷地は広大で公園と言った方が分かり易い。現在の福岡城址には天守/も本丸御殿もないが、幾つかの櫓や御門が残っている。現存の南丸多聞櫓は国の指定重要文化財であり、(伝)潮見櫓/と隣接する下之橋御門は県の指定文化財である。昨年春には、新たに舞鶴公園北側に潮見櫓が復元された。

 

多聞櫓

(伝)潮見櫓と下之橋御門

潮見櫓

 

吉野ヶ里遺跡

私が習った日本史の教科書には吉野ヶ里遺跡の記述はない。それもそのはず、遺跡の発見は1986年から行われた発掘調査によるものである。ここは特別史跡として弥生時代の集落を復元した国営の歴史公園であり、中に入ると一気に2000年ほど前にタイムスリップしたような気分になる。

縄文時代は狩猟・採集経済であったが、弥生時代に入り水稲農耕を主とした定住生活に変化した。やがて集落が大型化し、やがてそれが国を形作っていったと言われる。そんな社会体制が確立されると、収穫を巡り他の集団(国)との争い、つまり戦争が起きるようになった。これが戦争のなかった縄文時代と大きく異なり、集落を囲む堀と柵がそれを象徴する。

 

集落のゲートと堀

倉庫と物見櫓

集落を囲む柵

 

佐賀城址

幕末の動乱の中で薩摩や長州ほど目立つ存在ではなかったが、佐賀藩(鍋島藩)はいち早く西洋の技術を取り入れ、反射炉の建設と鉄を使った大砲の鋳造を行った。佐賀城址に天守はないが、鯱の門・続櫓が現存する。また、当時の本丸御殿を復元した歴史館があるので、鍋島藩がどのような存在であったか知ることができる。

藩主の意向により本丸御殿の作りは質素で、欄間は簡素な作り、そして襖絵もない。また、押や扉に打った釘の頭を隠す釘隠しもない。名古屋城に復元された本丸御殿とは大きな違いを見せる。

 

鯱の門

本丸御殿(歴史館)の御玄関

外御書院

 

 

1/     天守台は残っているが、そもそも天守が存在していたかどうかよく分からない。

2/     1956年に再建されたが、それは本物の潮見櫓ではなかったので(伝)潮見櫓と名付けられ、今に至る。

 

 

 

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