副首都構想 (2025/9/29)

 

 

今や自民党総裁選の真っ只中。誰が総裁になろうと、自民党が首班指名選挙に勝ったところで、両院で過半数割れに追い込まれた今の自公連立体制では、その後の政権運営はおぼつかない。結局、野党との連立拡大を視野に入れざるを得ない。取りあえず自公にとって新たな連立対象となるのは、維新か国民民主になろう。

 

そんななか、維新は連立の条件のハードルを一段上げ、総裁候補に対して副都心構想を示した。かつて大阪維新の会は二度ほど大阪都構想/を打ち上げたが、二度とも住民投票で否決されるという過去を持っている。国政レベルで副首都構想が実現すれば、大阪都構想の夢よもう一度(三度目の正直か)となる。

 

さて、首都直下型地震、はたまた富士山噴火と、いつ起きても不思議ない自然災害を考えれば、リスク分散という点で副都心構想は出てきて不思議はない。しかし、この話どこか既視感がある。

 

今を去ること35年前、1990年に「国会等の移転に関する法律」が成立した。法の趣旨は、東京への一極集中を緩和し、直下型地震といったリスクを回避するために首都機能を分散させるための移転先を調査・検討することにあった。審議会が立ち上がり、移転先の選定作業が行われ、栃木・福島県境地域(那須・白河)、岐阜・愛知県境地域(東濃)、三重・畿央地域(関西方面)が候補となった。ところが、莫大な移転費用、全ての機能が集中する東京の利便性、そして国民の関心の低さを理由に、この構想は瓦解した。

 

事の顛末はそのようなものであった。ただし、建前上は真剣に首都機能移転を検討したことになっているものの、本音は全く異なる。法が成立した1990年以降も、首都機能移転などどこ吹く風と、国会議員宿舎・中央省庁庁舎の立替や整備に多額の投資が行われた。はなから本気で移転する気などなかったのだ。政治家にとっても、官僚にとっても、政治・経済・メディアが集中する、言わば既得権益が集中する東京から離れることに、何の魅力も動機もなかった。

 

要は、政治的には地方再生やバランスの取れた国土開発というきれい事を並べることで、地方へのリップサービスとしての検討であったと言っても良かろう。あくまでも、「検討はしたよ」という既成事実を作るための立法措置に過ぎなかった。

 

さて今回またぞろ出てきた副都心構想である。維新、とりわけ大阪維新にとっては大阪復権を思わせる話であるが、大方の官僚と政治家にとっては35年前の空騒ぎと大して変わらない。もし、今回の副都心構想が実現しても、省庁の一部バックアップ機能を大阪に移転するだけで、お茶を濁すことになろう。国会議員や霞が関の官僚が本気で東京を去ろうなどと思うはずがない。

 

 

 

*/     大阪府と大阪市の行政機能を統合し、大阪市を廃止して東京都のような「都区制度」に変更するというもの。

 

 

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