『<ロシア>が変えた江戸時代 歴史文化ライブラリー』 岩崎奈緒子 202412 吉川弘文館

 

 

歴史好きな人には面白い本だ。著者があとがきで書いているように、「鎖国してた言うけど、江戸時代の人って、案外世界のこと知ってたんやなぁ」という読後感は言い得て妙である。

 

ペリーの黒船が下田に現れる遙か前、日本人漂流者大黒屋光太夫を乗せたロシア船が蝦夷地に現れ、幕府に通商を求めた。鎖国のさなか、夷地にロシア船来港の一報が幕府を大騒ぎさせたであろうことは容易に想像できる。

 

それを機に、幕府は樺太や択捉を含めた蝦夷地の探索と囲い込みを開始した。当然、日本と世界との地理的繋がりを知るために、正確な地理の把握、つまり世界地図への関心が強まった。

 

当時、支那以外は野蛮国であるという偏見が当たり前の日本であったが、ヨーロッパ人が遙か彼方の西洋から東の果ての日本まで航海する進んだ科学と技術を持っていることに気が付いた人達もいた。唯一、西洋の科学を知る方法は蘭学であった。蘭学者は天文学や地理学でヨーロッパが優越していることを知っていた。

 

精密な日本地図を作った伊能忠敬は、ヨーロッパからもたらされた技術である天文測量を使って経度や緯度を調整した。幕末に入り、緒方洪庵が大阪に開いた適塾では、物理学や医学までを学んだ。さらには実地として、塩酸や塩化アンモニウムの製造、犬猫や死人の解剖、そして製薬の実験まで行った。

 

日の本は神の国、野蛮な夷狄は追い払えという国学が江戸時代の規範をなしていた中、どっこい、蘭学を通してヨーロッパの科学や技術を学んだ人達もいたというお話である。

 

 

 

 

 

説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: 説明: door「ホームページ」に戻る。