下田にて (2025/2/6

 

 

いつもの様にカミさんが娘の留守中に猫守をするため家を空けることになり、私は三日間ほど下田へ一人旅に出てみた。夏場は海水浴やマリンスポーツで混み合う下田であるが、冬場、ここを訪れる人は少ない。

 

下田はその地名が示すように、江戸末期、日米和親条約*/に従い最初の開港地になったことで知られる。条約締結の際に米国側全権を担ったペリーの名は皆さまご存じの通りである。また、黒船が下田に来た際に、吉田松陰が小舟で黒船に近づき米国に連れて行ってくれと嘆願したが拒否されたという話も有名である。

 

当時、米人の休息場所として指定されたお寺や関連する資料館、そして松陰が黒船に密出国を願い出るまでとどまっていた吉田松陰寓寄処といった歴史的な場所はあるが、訪れる人もなく、ひっそりとしていた。

 

市街地を離れた郊外に仏教美術と近代美術を集めた上原美術館がある。かねてより一度行ってみたいと思っており、良い機会となった。

 

 

 

吉田松陰寓寄処

 

 

 

上原美術館

 

 

 

 

*/  1854年締結

 

 

 

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