終戦記念日
(2025/8/15)
今日は80回目の終戦記念日。全国で戦死者を悼むとともに、不戦の誓いが述べられた。
少し異なった視点で太平洋戦争を考えてみたい。米英を相手に戦争を仕掛けても勝てないことが明確であったのに、何故日本は自滅的な戦争を決断するに至ったのだろうか。だれも責任を取らない体制で、戦争を声高に叫んだ指導者達に政治が引きずられ、戦争を決めたというのが実態であった。
当時、軍部は統帥権の名の下、政府から独立した組織として存在した(政府は予算権限を持つが、軍を管理監督する権限がなかった)。しかも、軍内部を見れば、陸軍と海軍の間には確執があり、そして陸軍と海軍の中ではそれぞれの派閥1/が内部対立と権力闘争を繰り広げた。つまり、政府として、そして軍として組織の統治が出来ていなかった。
政府は内部がバラバラであったにも拘わらず、米国との開戦直前の1941年秋には、指導者達は面子の立つ和平交渉の選択肢が尽きたとして、米英相手の戦争を決断した。連合艦隊司令長官であった山本五十六が米国相手に勝てる見込みはほとんど無いと明言していたにも係わらず、日本の指導者達は敢えてそのギャンブルに賭けて、国を滅ぼした。
戦争の終末期には、米軍による市街地への大規模空襲、そして広島と長崎への原爆投下により、何十万という一般人が殺された。この点で、日本には戦争の被害者意識がある。しかし、1930年代に、満州事変から日中戦争という形で、軍が中国大陸で積極的な侵略行動を取ったがゆえに、日本は軍事的にも外交的にも世界から孤立し、ついには太平洋戦争を引き起こしたというのが歴史の流れであった。そんな不都合な真実を曖昧にしたまま日本人が語る終戦と、世界が思い起こす日本の敗戦(終戦)には明確な違いがある。
ドイツと異なり、日本は戦争の総括をしないまま、当時の指導者に対する責任の所在を曖昧にしたまま80年を過ごした。とりわけ戦後生まれが国民の多数を占める今となっては、戦争そのものが忘れ去られようとしている。
そんななか、石破総理が本日の全国戦没者追悼式の式辞で「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べ、先の大戦に対する「反省」の語句を13年ぶりに復活させた、とのニュースが入った2/。石破さんらしさを出したのだろう。
戦争を振り返るならば、そこに至った昭和史にも目を向けねばならない。
1/
陸軍でいえば皇道派と統制派、海軍でいえば艦隊派と条約派による内部抗争。
2/
毎日新聞ウェブ版 2025/8/15 11:58配信